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きのこの森

  
きのこの森とは、高野水登が主宰するコメディ多めの演劇団体。
そんなきのこの森の活動記。

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  • 05/03/23:43

災害

こんにち割下。濃いめが好きです。





主宰です。





タイトルに「災害」とありますが。
 
 
 
 
 
これは、好みの物語を見分けるときの指標です。
 
 
 
 
 
個人的には、「災害の数が少ない物語」が好きです。
 
 
 
 
 
どういうことかといいますと。
 
 
 
 
 
まず、災害といって思い浮かべるのは、
 
 
 
地震、津波、台風、砂嵐、火山の噴火、豪雨、豪雪、寒波、地盤沈下、などなどなど…
 
 
 
自然災害、ナチュラルディザスター、の類を多く思い浮かべるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
ここに加えて、
 
 
 
火事、テロ災害、原子力災害、などなどなど…
 
 
 
人為的な災害、人災、または事故ともいいますね。これも思い浮かびます。
 
 
 
 
 
これらを踏まえたうえで、私が勝手に定義付けした「災害」というのは、
 
 
 
 
 
 
 
「なんか知らないけど降りかかった辛いこと」
 
 
 
 
 
 
 
…まあ本当にざっくりなんですが、わかーりやすくこうまとめてみました。
 
 
 
 
 
さて、災害を扱った物語を思い浮かべてみますと。
 
 
 
 
 
 
パニック映画ですね。
 
 
 
 
 
 
有名どころで言いますと、デイアフタートゥモローとか、アルマゲドンとか、広く考えて宇宙戦争だとかが挙げられますね。





パニック映画というのは、とにかく、もう避けようのない災難が突然降りかかってきて、それに右往左往したり、どうやって立ち向かうか!というところに見所があります。
 
 
 
また、想像できないような非現実を描くわけですから、映像のクオリティやスケールの大きさ、迫力も大切ですよね。
 
 
 
 
 
 
さて、私は最初に、「災害の数が少ない物語が好き」と書きましたが、かといってパニック映画を否定したりはしません。 
 
 
 
パニック映画とは、非現実な状況の描写や、人々が夢想する「もしこうなったら…?」を視覚化したところに価値があるわけですから、物語にとやかく言うのは野暮というものです。
 
 
 
 
 
ダラダラと前置きが長くなりましたが私が言いたいのは
 
 
 
 
 
 
 
 
「パニック映画でもないのに災害ばっか起こす物語って何なの!?」
 
 
 
 
 
 
 
ということです。
 
 
 
 
 
 
 
私は映画、舞台、本、漫画、その他物語性のあるサブカルチャーに触れているとき、
 
 
 
 
「なんかガッカリするんだけど…うまく言語化できない…」
 
 
 
 
ということが多々あります。
 
 
 
 
 
単なる好みと一蹴することもできますが、そこは脚本家を目指しているので、分析するに越したことはありません。
 
 
 
 
 
そこでやっと、モヤモヤの一つが、前述の「なんか知らないけど降りかかった辛いこと」に当てはめると、スッキリ解決することがわかったのです。
 
 
 
 
 
 
例えば、こんなお話があったとします。
 
 
 
 
 
 
 
 
女子高生あやかちゃんは、転校生のあいこちゃんにいじめられてしまう。唯一の味方だった先生は、突然の人事異動でいなくなり、優しいお母さんはガンで入院。献身的な介護をするも長らく別居していた暴力的な旦那が突然現れて…。
 
 
 
 
 
 
 
 
私はこういうのが苦手です。
 
 
 
 
 
 
 
 
なぜなら、「なんか知らないけど降りかかった辛いこと」つまり「災害」が多すぎるのです。
 
 
 
 
 
 
 
災害をピックアップすると
 
 
 
 
「いじめっ子転校生のあいこ」「先生の人事異動」「母親の病気」「父親の襲来」
 
 
 
 
一見すると、人事異動や父親の襲来は例外に思えますが、「そのときに起こらなければならない因果関係」がないので、災害と言えます。
 
 
 
 
もしこれに、「先生が優しくしてくれたことが、逆に先生にあらぬ疑いをかけ、やむなく人事異動となった」とか、「母が倒れ、頼れる人物がおらず、やむなく嫌いな父に助けを求めた」など、何らかの因果関係があった場合は災害ではありません。(ただ、これじゃ陳腐なので納得できないと思いますが…。)






つまり、例にあげたこのお話。子供の悲劇を描いた人間ドラマに見えるんですが、
 
 
 
 
 
限りなくパニック映画に近いんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
人間ドラマというのは、「結果」よりも、「なぜそうなったか」が重要です。
 
 
 
 
 
「なぜいじめられたか」
「なぜ先生は異動しなければならなかったのか」
「なぜ母親は病気になったか」
「なぜ暴力的な父親が帰ってきたのか。そもそもなぜ暴力的なのか。」
 
 
 
 
 
ここに説得力があればこそ、人は物語の世界に没入し、感情移入することができます。
 
 
 
 
 
それが無かったり、曖昧だったりすれば、出来事は「災害」となってしまい、ドラマは失われます。
 
 
 
 
 
結果、物語の世界に入ることなどできないのです。
 
 
 
 
 
 
 
ここまで読んでくださった皆さんも、心当たりがあるのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
「えっ!?なんでこのキャラここで死んだのさ!」
「えっ!?せっかく幸せだったのに、病気にしちゃうの!?」
「ど、どうしてここでコイツとコイツがバッタリ出会うんだ…?」
 
 
 
 
 
連載ものでよく見かけますよね。
 
 
 
 


これは本当に、ただただ書き手の都合です。
 
 
 
 
 
物語とは、常に前に進めなければなりません。
 
 
 
 
 
オフビートとかロードムービーでもない限り、物語が停滞することは許されないのです。

 
 
 
 
 
前に進まなければ、マンネリ、ダレ、中だるみというレッテルを貼られます。
 
 
 
 
 
ですが、物語というのは何か劇的なことを起こさないと進みません。
 
 
 
 
 
もう理由とかいいからとりあえずそうなったことにしちゃえ!と、理屈を抜いて書いてしまうんじゃないかと思うんです。

 
 
 
 
 
そこに、ビジュアルや楽しさ、萌えとか、そういう付加価値があれば物語が進まなくてもいいんですが……

 
 
 
 
 
 
 
 









なんか、連載という言葉を出して思い出したすごくわかりやすい例を思いついたので書きます。
 
 
 
 
 
 
 
「キン肉マン」や「ドラゴンボール」というのは、理屈抜きで、強い奴のあとにさらに強いやつがきて、それを倒す!という話の典型です。
 
 
 
 
 
しかし、世界中で愛されています。理屈抜きの面白さがあるからです。
 
 
 
 
 
 
 
そして、「ワンピース」は、作者、尾田栄一郎さんの「理屈抜きの面白さはキン肉マンとドラゴンボールで完成しているので、全てが理屈で繋がる物語を書きたかった」という思いがあって、あの壮大な物語は成り立っています。








私は、キン肉マンもドラゴンボールもワンピースも好きですが。
 
 
 
 
 
 
 
 
ワンピースがやっぱり一番好きです。
 
 
 
 
 
 
 
 
そして苦手なのは
 
 
 
 
 
 
 
 
「君に届け」の絵柄と設定で内容は「キン肉マン」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
…ちょっと長くなった上に最後よくわかんなくなりましたが…

 
 
 
 
 
少しでも「ああ、わかる気がする」とか思ってもらえたら嬉しいです。
 
 
 
 
 
私もいつか、ワンピースみたいなお話を書けるよう頑張るぞーわー

 
 
 
 
 

というお話でした。
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